ややや

頭の中身を取り出して虫干し

月が箸で猫を食べる

この間「月が箸で猫を食べる」というこの一文からインスピレーションを受けて
ちょろっと文章を書いてみましたが、
高校時代文芸部にて詩作に没頭していたという部内の友人にこの一文を伝えたところ、
 
いいね。きっと月光がふたつの筋になって、すっとさ、猫に伸びてるんだよ
 
と返ってきました。
 
 
なんてロマンチックな見方を持っている人なんだろうと声が漏れました。
いやはや。
 
今の私の周りには素敵な文章を書ける人、話していて即座に機転の効いた巧妙な物言いができる人、言語を操るのがうまい人がたくさんいます。
恵まれているなあと思いつつ、私もそんなふうになりたくてもがいています。
どの層が読んでいるかは知れているけれど、私の部はホームページとブログを持っています。
毎公演ごとに参加メンバーが全員必ずひとつは記事を書く、という習慣があって、そこそこ定期的にみんなの書く文章が読めます。
 
文、ひいては言葉、それらひとつひとつにその人の今までの経験や好みや人柄があらわれると私は思います。
 
ブログは毎度あるお題が出され、それに沿って何かしら書くという感じですが、人それぞれの物の見方がよくわかってほんとうに興味深い。
そんでもって、なんとなくみんな共通しているような、似た者同士のような感じもするのが面白いですね。
それは外部の人から見てもわかるかと言われれば微妙な、小さなものですが、確かにみんな何か同じものを持って集っているんだなあとぼんやり実感します。
 
容姿や振る舞いはもちろんのことですが、発する言葉は、相対する人々にとって大事な指標になります。
この人は自分とわかりあえる人か、どういう考え方をする人か、一緒にいて有益な人か、はたまた全く相容れない人なのか……
ひとことで全てを察することはできないけれど、結局は使う言葉のひとつひとつが、その人そのものをかたちどっていくように私は思います。
そもそも言葉はその人の中からしか出てこられないものだから、言葉がほとんどすなわちその人の限界をあらわすのです。もちろん言語にならない部分は大いにありますが。
 
自分の語彙を増やすことはいくらでも可能です。それってすごく夢のあることだなと、思うとともに、自分はまだまだだなと度々へこみます。
 
 
先の彼女、月光の筋を箸に例えた彼女、
彼女といると、たびたび自分に見える世界を超えたところを見せてもらえます。貴重な友人だなと思うし、この人には一生勝てないのかなあとぼんやり、悔しくもあります。
 
追いつけないなと思う人がいるのは、ずっと悔しさを抱えることに繋がるけれど、その悔しさってありがたいなあと思います。
悔しく思える相手がそんなにごろごろ転がっているとは思えませんし、やっぱりいつかは並びたい、なんなら追い越したい。そう思わせてくれる人がいるだけで、延々自分を更新していけそう。
 
これからは月から差す光を見て、月が地球にお箸を伸ばして猫を食べようとしているのかも、って思えるようになったわけです。ほんのちょびっとロマンチックな気持ちになれる素養を手に入れた!なんて素敵なことなんだろう。
 
とか、そんなことを、ふと考えました。